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サルバドールの情報ノート |08/30/'07

青い家の情報ノート

このTABiLOGをご覧になっていただいてる方には、海外にある日本人宿がどういうものか、は分かっていただけてると思います。そこで今日はもう一歩進んで、その各地の日本人宿にある「情報ノート」というものを説明したいと思います。

「情報ノート」それは、そこに泊まった人が自由に閲覧し書き込みのできる、いわば宿に備え付けのクチコミノートのことなのです。

情報ノートのそもそもの始まりは、インターネットで調べても分かりませんでした。いつから、どこでできたものなのかも分かりません。もし古~いノートの話をご存知の方がいらしたら、ぜひ教えてください。おそらく1970年代、いろんな意味で海外に自由に渡航できるようになった世代の人たち(最初の日本人バックパッカー世代)が作ったシステムなのだと、私は想像しています。

その由来も発祥も分からないこの情報ノートの、最も特徴的で特異なことは、このクチコミノートというシステムが「日本人宿」にしか存在しないという現実だと思います。ここではその辺のことに関しての妄想から始めてみようと思います。(最近は韓国人宿にもある)

ちなみに欧米人がよく利用する宿にも、ほんの少しだけ似たような自由に書けるノートがおいてあったりします。後述しますが、それとの大きな違いは、そこに書かれているのが「旅の感想」でしかないということと、宿側が自主的においている、ということです。

どうして同じ自由に書けるノートがありながら、性質が異なっているのか。

これは想像の範囲をまったく出ませんが、たぶん日本人が「英語をもっとも話すことのできない先進国側の人種だから」だと私は思うわけです。

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世界中を自由気ままに旅ができるのは、賃金の高い先進国の人間に限られるのは当然理解できると思います。そして日本人以外の彼らのほとんどは、バックパッカーの共通言語となっている英語をなんとも上手く話しています。またたとえそれが上手くなくとも、ノリやテンションで彼ら同士上手くコミュニケーションをとっている姿を頻繁に目にします。

しかし一方、大半の日本人は英語を流暢に話すことができません。また外国人と調子を合わせられるほどコミュニケーションが上手くもないことがほとんどです。また生活習慣があまりにも違いすぎて、どうしてもついていけないと感じることも少なくないでしょう。

その結果、日本人旅行者はどうなるか。

自分たちだけで集まり行動し宿を選び、日本人だけという小さいながらも深いコミュニティを作るようになりました。おかげでインターナショナルな知人作りや情報集めができなくなりましたが、代わりに英語を話せないという疎外感を感じることはなくなったのです。大多数の日本人は、他の先進国の旅行者と交わる気忙しさより、ゆるい共通意識の中の安心感を選んでいった、とも思えます。

それではそんな旅人の国際的孤立ともいえる状況が、日本人独自の「情報ノート」の存在と、どのような関わりあいを持っていくのでしょう。

もし英語を流暢に話し、その他の国の旅行者の中に混じっていけるなら、そこで数多くの旅の情報を会話で手にすることができます。何せツーリストの絶対数は、英語を話す人>話せない人、に決まっているのですから…。だから旅人が集まるホテルに行き、彼らと積極的に交わればさまざまな生きた体験談を耳にすることができるはずです。

しかし英語を話せない日本人は、他国の人から会話で多くの情報は得られません。生きた旅の体験や技術を知りたければ、同じ日本語を話す日本人同士で情報を交換するしかない、というわけです。
少ない情報を、いかに有効に活用するか、それを考えたとき、もっとも有効なのが情報の蓄積であることはいうまでもありません。

そうつまり情報ノートは「日本人が英語を話すことができず、会話によって他人から情報を得られない」ことでできた副産物なんだと、私はここで持論をぶっ放すわけです。

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ところでこのノート、宿に備え付けになっているのですが、しかし基本的に宿側が用意してくれるものではありません。旅行者の誰かが自分でノートを提供し、宿の管理者に頼んで、もしくは勝手に共有スペースにおいてあるものです。だからこそ誰でもいつでも気軽に閲覧できるわけです。

ノートに記載されている内容は、あくまで「情報」なんてたいそうな名前がついていますが、まぁとにかく思いつく限りいろいろと書き込まれています。

もちろん周辺の観光地や国境・ビザ等の旅行の情報がメインなのですが、ほかにも人探しや噂話、宿の悪口、犯罪の被害にあった話、就職の斡旋や落書き、ヒトリゴト、その他もろもろが、ボールペンやマジックや色鉛筆など、信憑性も統一感もなく連ねられているというわけです。

しかし一方、無記名のこれらの記事はとても信用に足るともいえます。そして興味深いことやばかばかしいこと、実用的なこと、雑学的なこと、とにかく見ていて面白いことが多いのです。その証拠に、このノートの情報を見たいがためにその宿に泊まる日本人は引きも切りません。

しかし悲しいことに、今この独特の文化が少しずつ消えようとしています。

以前なら「情報ノート」の中でこそ情報を書き記していれくれたような人たちは、インターネットの世界へ移っていきました。自分のホームページやブログで情報を書くようになったのです。またそれにあわせて旅行者のモラルも下がり、情報ノートが盗難されることも頻繁におこるようになりました。

私はこういった情報ノートが、日本人旅行者が日本人旅行者らしく旅するアイデンティティの一つだと思っています。
文化を自然消滅させないように保護活動的なおせっかいな意味もこめて、このサルバドールでまた一つ情報ノートを作りました。サルバドールの青い家(NALVAの家)へどーぞ。

ってか、盗んじゃダメでしょーがっ!

【青い家の情報ノート】

Posted at 20:15

パソコン解体…!? |08/27/'07

ハードディスクを取り出すところ

えーと…。

悲しいかなタイトル通りのことでして、症状は「頻繁に右クリックが押されている状況」です。

もうそれはそれは頻繁でして、こうして文章を書いているときでもいきなりメニューが開き「コピーですか?それとも貼り付けですか?」的に私を問い詰めてきます。
数日前では、たま~に「あれ?右クリックしてないのになぁ…」ぐらいでしたが、今やその登場は親の仇か借金取りほど執拗で頻繁になりました。

もう無理、こんな生活耐えられない…ということで、抜本的改革に挑戦。物理的に壊れていることだろうと思い、ノートパソコンを分解してみました。

そもそも海外旅行先で、このパソコンがおかれている状況は非常にハードです。暑いところや寒いところ、標高が高いところ、ボッコンボッコン飛び跳ねるバスの中、何年も掃除がされていない部屋、砂漠の町、電源供給が安定しない安宿、もう日本の箱入り娘状態にくらべれば無人島サバイバル級です。

ふつうにこう使っているだけで、キーボードの間を「蟻んこ」が這っていたりします。ん!?と気づいたときにはもう遅く、奴らはパソコンの深奥部に向かって、貪欲に食べ物を求める探索に旅立った後だったりするのです。

まぁつまりそんなこんなで、右クリックが押されるのは、中で何か詰まっているんじゃないかと思ったわけです。もしかしたら中は蟻の巣になってたりして…もしかしたらサナダ虫みたいな、長~くてニュルっとしたのがいたりして…ということでちょっとドキドキしながら分解なのです。

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質の悪いドライバーに四苦八苦しながらマザーボードを取り外してみたもの、特に異常は発見されず…。入り口付近と深部で、蟻の探索部隊の死骸を少しみつけただけでした。

そのまま勢いにのってハードディスクやドライブも外してみましたが、やはり空振り…。軽く基盤などを掃除して、再び組み立てました。

そこで物理的じゃなく論理的に(つまり右クリックというプログラムとして)壊れているのかもと考え、OSのリカバリも決行。深夜4時にまでおよび作業を続けましたが、リカバリでも治すことができず…。あともうできることといえば、ポインティングデバイスとマザーボードをつないでいるコードを切断するという荒療治だけです。

さすがにそれには踏み切れず、今もこうして不具合と闘いながら、いつもの3倍の時間をかけながら文章を作成しているというわけです。

旅行中にパソコンが壊れることほど、めんどうくさくてショックでやっかいなことはありません。そう思い大切に使ってきたつもりですが、ここにきて爆弾を抱えてしまいました。

【ハードディスクを取り出すところ】

Posted at 23:16

新しいTABiLOGに! |08/24/'07

!TABiLOGのアドレスは変わっています!

以前のアドレスをブックマークしていただいてる方は、お手数ですが以下の新しいものに変更をお願いします。(ただいまご覧になられているのは新しいサイトですので、このアドレスを登録して下さい)

http://tabilog.info

これで完全新生TABILOGになった!!

いやなってないんだけどね…ぜんぜん…。たんにいまさら、いろんなところをちょこちょこリニューアルしただけでした。htmlでありながら、よりブログっぽい感じをだすという謎な作業。しかも過去の日記はまだ工事中というありさまです…すぐ見れるようにします…

ま、今まで読んできていただいてる方々には、何にも意味がないことのような、そこんとこあんまり突っ込んでほしくないような気がしたりしてます。

なにせそのあまりの作業量の多さに毎夜毎夜、ある時は泣きべそをかきながら、ある時は即身成仏化しつつ、遥か日本の皆さまのことを思い浮かべておりました、といういきさつもあって。

え~と、まぁ、そういうわけで、今後ともさりげによろしく、すばやくブックマークでお願いします。

Posted at 10:12

バイオエタノールの話 |08/21/'07

トドス・オス・サントス湾

今年4月からついに日本の首都圏でも市販の始まった「バイオエタノール」、つまり「バイオガソリン」の話をしましょう。なぜならここブラジルは、アメリカとならぶバイオエタノール先進国の1つだからです。

おそらく日本にいる人の方が詳しいとも思いますが(たぶんメディアで頻繁に特集が組まれたと思うし)、でも大事な問題なのであえてここでも提起してしまいましょう。

ということでバイオエタノールって何だろう、ってところからだと長くなってしまうので、やっぱり今日も簡単に紹介。興味のあるかたは…というかできるだけ多くの方が感心を持っていただき、まずはwikipediaなどでバイオエタノールについて知ってほしいと思います。

今までガソリンなどの一般的な燃料は、有限の化石燃料でした。つまり石油とか天然ガスとかですね。でももちろんそれらは有限でいつかなくなります。だからそればっかじゃダメだろってことで研究が進み、開発されていたのがこのバイオエタノールでした。

実は何十年も前からブラジルなどでは導入されていたものでして、このたび、やっと日本も小さな一歩を踏み出したわけです。

それは有機物からエネルギーを作るというものでして、有機物っていうのは動物とか植物のこと。まぁこの場合は植物のことを指します。だから非常にくだけた言い方をしてしまえば、そう、つまり植物から車用のガソリンを作る技術のことになります。

たとえばアメリカではとうもろこしから、ドイツでは甜菜(ビート)から、ここブラジルではさとうきびから生成されたバイオガソリンが、一般の車に使われています。

まぁあまり話が長くなってしまってもなんなので、説明はこんなところにして、このバイオガソリンの利点とその問題点をあげていきます。

一番のメリットはもちろん、有限じゃないことです。有限じゃないってわけではないですが、まぁ植物はいくらでも再生できるとすれば、理論的に無限ということになります。化石燃料頼りの現在のエネルギーシステムから脱却できる可能性を秘めているわけです。

昨今、ひたすらガソリンの値段が高騰していますが、バイオエタノールはこの無限性を持っているために高騰しにくくなっています。たとえばブラジルでは、'07/8月現在、ガソリンが1リットル約2.5レアル(約160円)に対し、エタノール(アルコールという名前で売っている)は約1.5レアル(約94円)と、かなりの差が出ています。これは車を乗る人にとってみれば、ありがたい話にみえます。

しかし一方、食糧事情が急騰している現実があります。今まで野菜や果物を作ってきた農家が、バイオエタノールは高く売れると思い(実際に高く売れる)転作に歯止めがかかりません。また今まで食料や飼料として供給していたものを、エネルギー用に出荷してしまう背景もあります。

メキシコの主食はとうもろこしなのですが、その消費の大部分をアメリカから輸入していました。しかしとうもろこしがエタノールに転用されるようになり、メキシコの食費は急上昇しました。

また牛や豚・鶏の飼料としての値段も高騰したため、家畜の肉や卵の値段に直接はね返り、世界中で食糧事情は悪化しています。

これはこういうふうには言えないでしょうか。エネルギーは安価になるのは車に乗るような裕福な層には嬉しい話でしょう、しかし今のところ車以外で使われていないのだから、貧困層には逆に迷惑な話だと。世界中で毎日何万人もの人が餓死している状況で、さらに追い討ちをかけているんではないかと。

他にも富裕層に対するメリットがあります。それはCO2の排出量が下がる可能性があるということです。これにはさまざまな意見がなされており、今の技術で実際に排出量が少なくなっているか不確かなのですが、しかしそれでも将来的には下がる可能性があるのです。今や二酸化炭素による地球温暖化は、地球規模で大きな問題として認識されました(今年やっと国連が認めた)。

もしこのバイオエタノールで温暖化に歯止めをかけられるのなら、これは真っ先に取り組むべき問題でもあります。

しかしこのCO2の問題も地球規模といいながら、問題を起こしているのは先進国の人間にすぎないのは周知の事実。食糧事情が悪化しようが、とにかくバイオエタノールを導入することによってCO2削減目標を達成することが彼らには重要なのです。貧しい人たちには何ら責任はないのに、そのツケを払わされようとしています。

さて…長くなってきました。

書きたいことが多すぎて、ここではちょっと無理ですね。ということでこの重たい流れの本筋からいきなり離脱しますが、日本とブラジルとの車の比較を書いて終わりにしておきます。

日本の普通の車に入れることのできるエタノールは、わずか3%ということになっています。つまり1リットル中に30ccしか混入できないのです。一方、ブラジルの車は何%でもOKです。100%エタノールでもOK。

日本で「バイオガソリン開始!環境に優しい!」的なことやってても、たった3%のこと。しかも日本ではエタノール用の作物を作れてはいないので、全部輸入。それにかかる費用や、輸送時に算出される二酸化炭素を考えると、プラスマイナスでいえばどっちなのかなぁ…と思います。

【トドス・オス・サントス湾】

Posted at 10:12

カポエイラを見に行く |08/18/'07

カポエイラ道場にて

ブラジルのサルバドールといえば「カポエイラ」が世界の共通語のようです。ちなみに日本では「カポエラ」なんて表記したりもしますが、うかつにそう書こうもんなら、すぐさま「カポエラは誤表記です。正しくはカポエイラ」という突っ込みがくるそうですよ。

先日、カポエイラを習っているという知人についていき、その道場を2・3見学してきました。まず「カポエイラ」とは何か?ということから入るとこれはちょっと説明が大変なので割愛いたしますが、簡単に言ってしまうと「手を使わないで戦う格闘技」といえると思います。しかし今は「実際に攻撃を相手に当てる」ことは少なく、空手の寸止めのような感じが主流になっているそうです。

カポエイラはまだ奴隷制が残っていたころ、手かせをつけられた黒人奴隷たちがダンスに見せかけて修行したとの歴史があるようで、手を地面について動いたり、逆立ちのまま蹴ったりします。最近ではその独特な動きが格闘ゲームやマンガに取り入れられることも多く、私も何度か目にしたことがあります。

カポエイラには大きくわけて3つのスタイルがあります。1つはヘジォナウ(Regional)→比較的素早い動きで格闘技に近い、もう1つがアンゴラ(Angola)→ゆっくりした動きでダンスに近い、そして新しいコンテンポラーニア(Contempolania)→その中間ぐらいでショー的、となっています。

ちなみに知人はヘジォナウの人気老舗道場の1つに通っています。セントロのど真ん中という好立地の道場は、15×5mほどの比較的狭いスペースで練習が行われていました。

カポエイラの練習で、他の格闘技と明らかに異なる点に、「音楽をかけっぱなしにする」ということがあります。おそらくその創生がダンスに見せかけたためでしょうが、独特のアフリカ的なリズムが道場に響いており、練習生はそのリズムにのって「ジンガ」と呼ばれる、ダンスでいうボックスステップのような動きを続けます。このステップが他の格闘技でいうフットワークにあたります。

その「ジンガ」の独特なフットワークから、側転や水面蹴り・後回し蹴りなどの不規則な攻撃を繰り出すというわけです。

カポエイラは私にとって、見ていて非常に面白いものでした。不思議な動き・技、そして絶えず流れるアフリカンリズム、いずれも今まで見てきたものと全く似ていないユニークさがあり、そして上手な人の動きは見ていてうっとりするほど美しくもあります。

また逆立ち片手で全体重を支えたりする力強さも必要で、格闘技・ダンスという枠組みには決して入れられない「カポエイラ」というものを感じることができました。

【カポエイラ道場にて】

Posted at 17:08

旅≠観光 |08/18/'07

土産屋の人形

以前から私は決して旅のペースが早いほうではなかったわけですが、最近はことさら遅くなっています。もっといろんな国や町の日記を書いてほしいと思っていただいてる方や、日本で会えることを楽しみに待っていてくださる方々には、もうまったく顔向けできない状況だということは重々承知の上なのです。

ところでそういう怠惰っぽい自分を正当化するわけではありませんが、この海外生活も終盤に近づいた最近、ある程度「旅」というものに対する考えが固まったので、ここでそのさわりだけでも書いておこうと思います。

始めにことわってしまいますが、今日の日記はただ長いだけで面白くもなんともありません。あまり気にせず、興味ない方はスルーでお願いします。

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さて記事のタイトルにもしましたが「旅≠観光」この何だか公式みたいなものが、最も端的に私の考えを表す言葉になります。さらにつけたして「旅⊇(部分集合)観光ですらない」ともしておきます。

一般に「旅」という言葉からは、世界遺産に足を運んだり、観光地を求めて町から町へ移動していくことをイメージすると思います。とくに海外の長期旅行ともなると、もうそればっかりと思われるかもしれませんね。見たいものがたくさんあって、あっち行ったりこっち行ったり。バックパッカーは毎日スゴイものを見て感動しまくっている、と…。

しかしまず実際の「旅」では、当然のことですがそういった「いわゆる観光」している時間より、観光してない時間の方が圧倒的に長いわけです。ホテルの部屋にいる時間や、買い物をしてる時間。他のツーリストや現地の人と話している時間。食事をしてる時間。バスに乗っている時間。その結果をトータルで見れば、観光してる時間は一瞬にすぎません。

弁護士は常に裁判所で「異議アリ!」的に弁護している感じもしますが、実際はそうじゃない、ということに近いかもしれません。それ以外の時間の使い方で、弁護士としての優劣が問われる…いや、違うかな…まぁいいや。

確かに一部の世界遺産や観光地は、人生観を変えてしまうほどの偉大なものもあるでしょう。しかしそんなものはほんの一握り。現実は世界に数えるほどしかありません。そしてそんなところばかりを観光する、というのも物理的にかなり無理があります。

極端にいえば、それ以外の世界のほとんどはただ「観光地」ということになっているだけです。美術や建築や歴史に詳しくない私にとっては、それほどに楽しいものじゃぁないのです。わざわざ時間をかけて訪れても、何の発見も感動も楽しさも与えてくれないのです。

そういうんだったら、あなたの言う偉大な観光地だけを行けるぶんだけグルッと周り、さっさと日本に帰国すればいいじゃないか、とお考えの人もいらっしゃるでしょうか。そういう方はつまり「旅=観光」派です。でもそうはいきません、私にとっては「旅≠観光」なのですから。

私は観光を楽しみたいわけじゃなく、旅を楽しみたいのです。

それじゃ、私にとって旅を楽しむというのはどういうことか。旅を全体で考えたとき、ちょっとしかなくてあやふやな「観光している時間」を楽しむことより、「観光していない大多数の時間」を面白くする、ということにあたります。

具体的にいえば、

ちょっとずつ練習しているジャグリングが日ごとに上手くなっていくのが楽しかったり、

現地の食材を買い込み、工夫した料理で成功したり失敗するのが楽しかったり、

日本ではほとんど読んだことのないジャンルの本を借りてじっくり読んでみたり、

英語やスペイン語を勉強して、実際にその場で使って現地の友だちを作ったり。

自分の今いる町の歴史や文化を、インターネットで調べてあらためて散歩してみたり、

フラッと入ったお店で、適当に買ったCDを聞いたら素晴らしくてうっとりしてみたり。

一見すると、他人にとってはどれも時間のムダにしか思えないことかもしれませんが、私には「日本にないものを観光する」のと同じくらい「日本ではできない」ことであり「観光以上に面白い」ことなのです。もっといえば、「観光するヒマがあれば、他にやりたいことがたくさんある」といえなくもありません…極論ですが。

さすがに文章が長くなってきました。ここまで読んでくださった奇特な方、さわりだけ、とかいっておきながらすみません。

今日はどうしてこんなことを書いたかというと、先日ある方に「毎日なにしてるんですか?旅しましょうよ」と言われたからです。

その場では「そうですね、そろそろ動かないと」なんて答えましたが、本当に言いたかったのは「これが私の旅なんです」っていう言葉だったんです。

【土産屋の人形】

Posted at 15:47

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